私の実家は自営業でした。
業種は建築業、業務内容は、顧客の設計に合わせて調達した材料を加工して取付を行う建築板金でした。個人事業で始めましたが、途中で有限会社に法人化しました。
組織体制は、父が代表者兼技術者兼作業者で、母が経理を担当。
正規の従業員はいない、家内工業でした。職業安定所(ハローワーク)の募集や知り合いのつてで一時的に従業員がいたこともありましたが、定着しませんでした。
定着しなかったのは、何だったんだろう。
給与と仕事内容が違ったのだろうか、企業の風土に合わなかったのか、今となっては検証もできませんが、、
仕事は、基本的に大手の下請、二次請けであり、工務店や仕事仲間からの口利きで受けていたと記憶しています。法人向けが主流で、個人向けの仕事は、知り合いや近所の修理をボランティアで実施していた程度です。(報酬は物であったりもしました。)
だから、仕事の波があり、繁閑の差が大きかったです。
忙しいときは、家族総出で作業をしました。フックボルトのフエルトで手が真っ黒になったことを思い出します。
一方仕事が途切れたときは、仕入れ先への支払ができない、銀行の対応が大変と幼い私でも危機感を感じました。
両親は、子供達に心配をかけないようきつかったと思います。
家族は、父母、妹、弟5人。父は、3人の子供のうち誰かが家業を継いで欲しいと願っていたようですが、口にすることはありませんでした。結果的にそれぞれ独立して会社は廃業しました。
それぞれ独立できたのは、両親のおかげです。
何十年という長きにわたり、環境変化に対応して企業を継続してきたからです。(ゴーイングコンサーン)
中小企業診断士を目指した理由には、父に対する贖罪もありました。
誰かが、家業をついでいたら、、、
可能な限り遡り、具体的な出来事の振り返りで検証していきたいと思います。(続く)